塩野神社
塩野神社は上田小県に5座ある延喜式内社(大社の生島、足島の2座と小社の山家、塩野、子檀嶺3座)であり、格式がある神社である。塩野神社の祭神は日本で唯一といわれる「塩垂津彦命」を主祭神として「素戔嗚尊」「建御名方命」の3柱の神様が祭られている。
【神 紋】
・塩垂津彦命 八ツ藤
・建御名方命 梶の葉
・素戔嗚尊 五瓜に唐花

廻り舞台
明治4年古くて、狭い舞台(現在の神楽殿)を改築しようと計画し、明治7年に新たに境内の敷地内に建築されたもの。歌舞伎舞台として人力の廻り舞台も設置されている。
この新しい舞台ができたことにより、明治13年に開校した「盈進学校保野市校」で学ぶ向学心に燃えた青年たちの活動は、神楽殿が教室としてその活動の場となった。

林法院
九品山林法院は、元亀年間
(1570~1573)筑後国善導寺の僧九品が移り住む。宗派は浄土宗、本尊「阿弥陀如来」天正17年(1589)超誓寺の僧「圓蓮社通誉法山林貞」が現在地に移り林法院とした。宝永3年1706)本堂を建設、この費用は原理兵衛が自分の所有水田535文(5升蒔)を提供氏、共同耕作収入を建築費に充てた。江戸時代上田領主が北向観音・温泉巡りの際はこの寺で休息される慣わしになっていた。

龍昌院
法性山龍昌院は、真田信之公が元和元年(1615)に別所、安楽寺第三世奪叟與和尚を招いて開いた寺と伝えられ、宗派は曹洞宗本尊「釈迦牟尼仏」寺紋は六文銭。本堂は文化11年(1814)に火災があり、ほとんど消失したが、本尊と過去帳の一部記録は残る。嘉永5年(1852)に復興し元の姿に建て直された。その後も幾度か改修され現在に至っている。



